私のオートバイ遍歴


免許取得以前

幼い頃、私の実家にはスクーターがあり、家族で乗っていたらしいのだが、残念ながらその頃の記憶はない。

小学生だったある日、カワサキワークスの叔父さん(当時、地方ではモトクロスのイベントが盛んで、私の叔父はカワサキのワークスライダーだった)が、なぜだかホンダのCB750K0でやってきた。叔父さんの後ろに乗せてもらい、そのへんを一周しただけだったが、当時はノーヘルOKであり、風を感じて走るのは快感で、オートバイとは怖くてオモシロイものだと思った。

初めてバイクを運転したのは、中学2年生の春だった。高校に進学したT先輩が買ったCB90を借りて、そのへんの空き地をちょっとだけ走らせてもらったのだった。当然、無免許運転であるが、クローズドな場所であるから、現実的には問題はなかった。しかし、ラジコンでエンジンとは怖いものだと思っていた私には、90ccのエンジンはとてつもなく大きなものに感じ、壮快感よりも恐怖感の方が大きかった。そして、初めてオートバイでコケたのもそのときだった。

実家の隣はバイク屋であった。その店がイーハトーブというトライアルのレースの事務局をしていたことは、ずいぶん後になって知った。バイクの免許を取れる年令が近くなった頃、そこに並んだバイクの中でも、カワサキのZ2やMach3のテールの美しさに目を惹かれた。それに比べてホンダのバイクはかっこわるいなあと思ったものだ。Mach3は、速い、曲がらない、止まらないの3拍子が揃った(?)恐ろしいバイクだったが、大好きだった人造人間キカイダーにも使われていたので、憧れのバイクでもあった。そんなわけで、バイクの免許を取ったら、絶対にカワサキに乗るんだと決めていた。ところが、二輪免許の法改正により、中型免許は400cc未満となってしまった。CB90のこともあったし、当時はアマチュア無線にハマっていたこともあって、高校に入ったときには、もうすっかりオートバイの免許を取ろうなどとは思っていなかった。

時代はまさに3ない運動の最中だった。オートバイは不良の乗り物というイメージが、田舎に住んでいた私も植えつけられていたように思う。もっとも、私が入った高校は、県で一番の進学校だったが、実際にはとても自由な校風であり、オートバイへの規制らしいものもたいしてなかったように思う。もっとも、オートバイに興味を持つようなヤツも少なかったから、そういう問題もなかったのだろう。せいぜい、田舎から通学している同級生が、スーパーカブに乗ってくるくらいだったが、うらやましいとは思わなかった。

しかし、期せずしてまたまたオートバイに無免許運転しなくてはならなくなってしまった。それは、小笠原諸島へ無線をやりに行ったときのことである。電波のよく飛ぶ山の上に無線機やアンテナを置き、宿は港だったから、オートバイを借りて連絡を取ったり、食事を持っていったりすることになったのだ。私はCB90の原体験があったので、オートバイは懲り懲りだと思っていたのだが、発電機がかからないというので、風邪で高熱を出して寝ているにもかかわらず、発電機をかけに行くことになってしまったのだ。ラジコンエンジンになれていたせいか、エンジンをかけるのは、どういうわけかウマかったらしい。
カウルのついたCB50に、ノーヘルでサンダル履きという、今思えばとんでもない格好で、深夜に亜熱帯の急坂のワインディングロードを駆け抜けることになった。しかし、これはさすがに無茶だった。パワーのないCB50で走る真っ暗な急坂のワインディングなんて、今でも遠慮したい。当然ながら、急坂のコーナーで何度かコケ、かぶったエンジンを苦闘して掛け直し、山に着いたときには、もう発電機はかかっていた。私は血だらけになって、さらに恐怖の下りワインディングを走ることになってしまったのだった。本当に、もうオートバイは懲り懲りだと思った。家に帰ってきてからも、このことでずいぶんとしかられた記憶がある。

その後、高校時代、浪人時代を通じて、オートバイのことはすっかり忘れていた。

免許取得。そして迷いの時代...VT250F(E)

そんな私だったが、東京に出てきて大学生になったある日、オートバイが欲しくなった。何のことはない。彼女ができたのである。そのころ、私は結構オシャレでスマートな紅顔の美少年(?)だった。できればクルマがよかったが、保険や駐車場代なども考えると、自分のお金で維持することは無理な相談だった。そこで、オートバイを買おうと思ったのだ。なんとも軟弱な理由だったが、ある意味それはとてもよいタイミングだった。

というのも、ちょうどオートバイにカウルやセパレートハンドルが許されるようになった時期だったのである。レーサーレプリカの走りである。マツダ・クーペやZ2のテールなど、流線型のモノが好きだった私にとって、カウル付きのバイクはとても魅力的に思えたのである。一番欲しかったのは、ホンダのNS250Rだった。ウインカーが埋め込まれた白いフルカウルに、エアプレーンタイプのフュエルキャップや、カバー付きのサイドスタンド、テールカウルの右側にあるマフラーの膨らみなど、とにかくたまらないモノがあった。

しかし、初心者が2サイクルのバイクに乗るのは危険と言われ、今までの怖い経験もあったから、私は4サイクルで一番カッコよく(と思った)、13,500rpmも回る2代目のVT250Fをローンで買った。VTは、当時ホンダが力を入れていたV型の4stエンジンのラインナップの250cc版で、ツインながら良く回り、GPマシン譲りの16インチホイールや、角断面ダブルクレードルフレームと、カタログスペックに文句はなかった。パワーはNSの45psに比較すると40psながらも、ちょっと前まで一世を風靡したRZ250(もしかしたRZ250Rにも)に勝てる4stバイク、すなわちRZキラーとしてホンダが出したとあって、その戦闘力はなかなかのモノと評価されていた。ボディ一体型のフロントカウルを身にまとった、シャスタホワイトのきれいなバイクだった。後からカッコをつけてアンダーカウルをつけたが、かえって放熱が悪くなっただけのような気がした。バイクはともかくとして、保険がとても高かった記憶がある。

このVTで、私は彼女を毎日のように家まで送った。二人でに海に出かけ飽きるまで打ち寄せる波を見た。山の湖の花火も見に行った。楽しい日々だった。

しかし、その一方で、私はもっとオートバイにどんどん惹かれていった。なにせ、好きなときに好きなところに移動できるのだ。山でも海でも行きたいときに行ける。バイク仲間もでき、一緒にツーリングに行ったりした。

だが、どうにも納得できないこともあった。どうやらオートバイというのは、峠を攻めるのが楽しいものらしいのだが、私は怖いばかりでゼンゼン楽しくなかった。確かにある程度の速さで走ることはできたが、それは今思えば雄蛮に過ぎないものだった。「このままじゃイカン。バイクをうまくなりたい。」そう思い始めた。

敗北

そんな折、ふと一人でツーリングに出た先で、ちょっとしたアクシデントがあった。その日、私は箱根方面を走って夕方に246に入った。
「ここから先は、混雑するしつまらない道路だ。何かもっといい道はないだろうか?」
そう思って地図を広げたところ、413号に抜ける結構太い道があることを発見した。感じからしてトンネルのようだ。
「そうか、この道が面白そうだ。道志も走れるし」
私は地図通りに丹沢湖方面へと向かった。
ところが、道はだんだん細くなるし、山を上っていく。
「なんか違うような気がする...」
と思いつつも、日は暮れてきた。いまさら戻るのも面倒だというので、どんどん前に進んだ。
しかし、道はダートになり、さらに山を上っていく。そしてついに「一般車通行禁止」の立て札が現れてしまった。
林道である。
さすがに一瞬立ち止まってしまったが、意を決して前に進むことにした。
しばらくすると、峠の頂上付近まで到達し、真っ暗なトンネルを通った。トンネルを抜けると、道の左右には、まだ雪が残っている。道もところどころドロドロになっている。両わきにはフェンスもない。たぶん、山と反対側は谷に違いない。さらに、最近クルマやバイクが走ったと思われる跡もない。
とにかく慎重に走っていくしかない。しかし、あたりは真っ暗だ。たまに目の前をタヌキが走り抜ける。目だけがやけに光る。そうこうするうち、ふとしたはずみで、つい転倒してしまった。
エンジンが止まると、あたりは静けさに包まれ、谷川の流れる音が聞こえる。
とてつもない恐怖が襲ってくるが、スグにバイクを起こしてエンジンをかけ、暗い恐怖を打ち消す。転倒しないように注意しながら、しばらくつづら折れの林道を降りていくと、ついに町の灯りが見え始めた。
「やった。もう少しだ。」
そう思った直後、目の前に大きな壁が出現した。
「???」
それは、がけ崩れであった。もはやどうしようもなかった。
私は足場の悪い中、バイクを押してUターンした。また、この道を引き返すのは恐怖だったが、それ以上に屈辱であった。
「いつか、この借りは返すぞ。」
命からがら(おおげさ)帰ってから地図を見直すと、トンネルと思った線は点線であった。おそらくこの時点では開発予定があったのかもしれない。しかし、そこは犬越路と呼ばれる林道だったのである。

オフロードバイクで開眼...MTX200R

峠に対する恐怖の克服、そして、林道への復讐を誓った私は、テクニックを磨くべく、オフロードのオートバイを中古で買うことにした。MTX200Rというホンダの2サイクルである。
初めての2サイクルだったが、もともとローギアードな上にパワーがないから、そこそこ楽しく走ることができた。ブレーキはドラムだったので、たいして効かなかったし、峠の下りではフェードしてしまった。しかし、こういった限界の低いバイクで、限界を体で感じながら走るのはオモシロイことだった。もちろん、林道や河原も走り回ったし、無茶なことにトライアルまがいのこともした。もちろん、犬越路林道にも復讐しに行った。MTXはとても楽しいバイクだった。
しかし、どうにも納得できなかったのは、MTXの方がVTより明らかに峠も速く走ることができるような気がしたことだ。もちろん、これはある程度以下の小径コーナーの話ではある。当時よく走った20号の大垂水程度ならば、そのへんの峠小僧をMTXでぶっちぎれたものだ。もっとも、2ストのMTXは、オイルが服に着くといわれ、彼女には不評であった。
これはVT自体がまずいのではないかという気がしてきた。実際、友人のいろいろなバイクにちょい乗りしたりするうちに、VTはヤバいバイクだと思うようになってきた。というのも、VTのフロントタイヤは16インチだったのである。当時、クイックに曲がれるということから、GPでも16インチが主流であった。しかし、これはただただクイックであり、バイクまかせにしていてはちゃんと走ってくれない。オマケに、フロントの挙動が分かりにくく、「マズい!」と思ったときには、フロントから滑りそうになってしまうのだった。

別れ

こうして、私がVTに不信感を持つようになった頃、彼女との別れも訪れた。
眠れなかった夏のその朝、あのとき二人で行ったあの海にさよならを言いに行こうと思った。第三京浜から横浜新道に入り、海が近づいてきた。VTの排気音は心なしか悲しげだった。後ろからカローラが追いついてきた。そんなモノに負けるわけにはいかない。スロットルをさらに開けるが、なぜだか、あっさりと抜かれてしまった。「そんなバカな...」と思う間もなく、エンジンが回らなくなってきた。そして、ついに横浜新道出口付近で、まったく動かなくなってしまった。あまりにも早朝だったため、どうすることもできない。私はしかたなく、当時はまだあった横浜のホンダSFまで、VTを押して行った。だんだん日が昇ってきて暑くなってくる。革ツナギが汗でぐしゃぐしゃになった。すれ違う女子高生がいぶかしげな目で見ていくが、今はそれどころではない。横浜というところは、アップダウンがきついところだと、あらためて思った。
結局のところ、一度はSFに入ったVTだったが、運よく連絡がついた友人がワンボックス出してくれた。VTを積み、アパートまで持ってきてもらった。惨めな気持ちだった。
それより問題はバイクである。どうやら、エンジンのメタルがイってしまったらしい。修理には10万円以上はかかるそうだ。貧乏学生の私にそんな金はない。
そこで、私はポンコツ屋に出かけた。ちょうど、フロントまわりがぐしゃぐしゃになったVTがあった。走行距離は少ない。エンジンは\35,000だった。こうして、私はエンジンを載せ換え、VTは生き返った。壊れたエンジンは、あまりにも美しかったので、アパートの部屋にしばらくの間飾っておいた。
生き返ったVTだったが、その後も災難は続いた。峠の左コーナーのクリッピングポイント付近で、なんと右側走行してきた原付スクーターと正面衝突したのだ。これも、パーツを取り寄せて全部自分で直した。カウルもタンクも新品になって、VTはきれいになったが、もうこのバイクに乗る気はなくなっていた。
こうして、私はVTを手放す決心をした。走りの点や思い出にはあまりよいところはなかったが、整備や修理の基本をこのバイクで学ぶことができた。

憧れのフルカウル...RZ250RR

高校生の頃だったと思うが、「青い流れ星」(だったと思う)というバイクマンガがあった。主人公が乗るバイクは、軽量コンパクトながら、2stでパワーのあるヤマハのRZ350で、ナナハンキラーと呼ばれていた。主人公の少年は、このRZ350で数々のバトルを征していく...といった内容だったと思うが、詳細は忘れてしまった。
VTの代わりに手に入れたのは、RZ250RRだった。青い流れ星RZ350の弟版であるRZ250の進化型として発売されたRZ250R(43ps)をベースに、ハーフカウルをまとってパワーアップしたのがRZ250RR(45ps)である。私が買ったのは、さらにYSP仕様と呼ばれるもので、当時の広告の笑えるコピー通りに書くと、
といった装備が追加された上、ゴロワーズカラーのフルカウルを纏っていた。ただし、前オーナーの趣味で、カウル自体はノーマル仕様の青/白になっていた。これもきれいなバイクであった。
MTXで2stに慣れた私は、RZにかなり期待していたのだが、VTに比較して大柄で、その割りには思ったほどパワーもなかった。また、見かけはきれいなものの、フレームが丸パイプだったり、細部の作りが粗末だったりで、いささか失望した。ウィンカーもエンジン回転数によってスピードが変わったので、ハイフラッシャーを入れて速度はふつうにして使ったりもした。しかし、一番気に入らなかったのは、その走りであった。コーナリング時に、どうにも安心感がないのである。VTと違ってフロントは18インチと大柄なのだが、安心してコーナリングができないのであった。
そうこうするうち、どうしても欲しいバイクができ、RZは納得できる走りができないまま、友人に売ってしまった。その友人もRZの走りに不満を覚えたが、タイヤを交換したところ、実に気持ちよく走れるようになったという。今思えば、短い期間しか乗らずに本質を知らないまま手放したのは、とても残念ではある。

リアルスプリンター

RZ250RRに乗っていた私が、次に欲しくなったのは、スズキのRG400Γであった。
MTX、RZに引き続き、2stのバイクである。というか、引き続き中古のバイクである。バイクも程度の良いモノを選べば、中古はリーズナブルなのだ。これ以後、何台か中古のバイクを買ったが、いずれもハズレはなかった。
RZは確かにレーサーレプリカの形をしていたが、それは一昔前のレプリカであった。当時のレーサーレプリカブームで、一番過激なバイクを作っていたのがスズキである。その中でも、RG500Γは他と一線を画していた。もちろん、2st 4気筒500ccというのは、当時の主流だった250ccと比較すると、気筒数も排気量も倍であるから、そもそも格が違う。しかし、それだけならヤマハのRZV500Rもあった。Γの凄いところは、世界GPで活躍していたGPマシンRGΓのレプリカ、いやほぼそのままのメカニズムを持つコトだったのである。そして、国内の免許制度に合わせて作られたのが、RG400Γであった。実際のところ、RZV500Rはよくできたカッコイイツーリングマシンであり、RG500Γは戦闘マシンだった。
Γのフロントホイールは16インチだったが、セッティングの違いからか、VTのような神経質さはなかった。その後乗った'88NSRなどに比較すれば、こんなのでよく峠を走ったもんだと思う程度なのだが、当時としてはかなりよいハンドリングだった。
しかし、Γの素晴らしいところは、まさにGPマシンレプリカであることだった。カウルを外すと、Γの文字が誇らしげに刻まれた当時としては剛性の高そうなアルミフレームにコンパクトなスクエア4エンジンが抱かれていた。エンジンの両サイドには、ロータリーディスクバルブを備えたキャブレターが斜めに並んでいた。エアクリーナーから延びるインテークパイプを外せば、まさにレーサーRGΓであった。
後ろから見れば、テールカウル下から顔を出す2本と、後輪の両側にある2本の合計4本のマフラーから、ジェット噴射でもして飛んでいきそうな雰囲気だ。
実際、Γの加速は凄かった。ゼロヨン11秒台後半という、当時の4st 400ccクラスを遙かに凌駕する記録を持っていたことからも分かるように、シグナルグランプリでは、GSX-R750以外にはたいてい勝つことができた。当時はバイクブームだったせいか、その手のバイクが信号で並ぶと、必ずシグナルグランプリになったものだ。
信号で並ぶと、まず、隣に並んだバイクの品定めをする。こっちはΓだ。自然と相手にも気合いが入る。逆側の信号が、黄色になるまでは、余裕で腕組みをしたまま。黄色になったらギアを入れる。すでにみんなエンジンをレーシングさせている。赤になったら「1,2,3」でこっち側の信号が青になる。さあ、スタートだ。最大トルク発生回転数付近でクラッチを繋ぎ、フロントが浮かないように加重しながら全開をくれてやる。Γは素晴らしい咆哮を聴かせながら、獣のように獰猛に加速する。カストロールの香りがステキだ。レッド寸前でギアを掻き上げる。Γはさらに加速し続ける。ふとミラーを見ると、真っ白である。Γの吐いた白煙だ。おもむろにアクセルを緩めていくと、その白煙はやがて薄くなり、はるか後方にさっき並んでいたバイクが見えてくるのだった。そして、その先の信号で並んだヤツが、「Γ、速いっすネ」と話しかけてきたものだった。
若気の至りとしか言いようがないのだが、当時こんなことは日常的だった。とにかく、RG400Γは、そのサウンド、加速感、迫力が最高だった。峠にも出かけた記憶はあるが、怖い感じはなかったものの、そんなに楽しくもなかったような気がする。峠での楽しさでは、相変わらず、オフロードバイクだったように思う。

楽しかったバイク達

その後、TZR125、SRX-4、NSR250R、KDX200SR、KDX125SR、CRM250R、TLM220Rといろいろと乗り継いだ。
中でも、'88 NSR250Rは今も乗っているがたいへんに好きなバイクだ。あまりにも挙動がシビアで、Γから乗り換えた当初には、ウインカーを出したときにはもう車線変更が終わっていて驚いてしまった。つまり、思っただけで動いてしまうのである。さすがに慣れてきてからはそんなこともなくなったが...。NSRは、外してくださいと言わんばかりに保安部品、外してくださいと言わんばかりの線(これを外すと、本当に63ps以上出るようになる)、低くよい角度のハンドル、あっと言う間に全開になるアクセルスロットル、強烈なブレーキ、これでホントにいいの?の豪快な排気音と、実に刺激的なオートバイである。さすがに死人もたくさん出たらしいが、なぜだか私には相性がよいらしく、たちゴケすらしたことがない。あまりにも満足してしまったため、これ以後新しいロードバイクを買っていなかった。
しかし、クルマのイタ車に頭をヤラれてから、MV AGUSTA F4Sを買ってしまったものの、さっぱり乗りこなせていない。やはり私には2stが合っているみたいというので、ラインナップになくなっていたオフロード系のバイクとして、Husqvarna WR125というエンデューロレーサーを買ってしまった。とはいえ、未だに'88 NSR250Rが一番好きなバイクだ。
他のバイクにもいろいろな思い出があるが、ここではカンタンに触れておこう。


Home | バイクとクルマ





Copyright (c) 2000 T. Kimura All Rights Reserved.
For questions or comments, please send mail to: tk@f355.net